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 邪魅とかいう妖怪は、山に棲みつくあやかしたちの中でも、極めて異色な存在だ。
 意味もなくひとりで存在し続ける彼(※奴の性別は不明だが、とりあえず今回は“彼”と呼ぶことにする)は、いったい何を考えているのか、さっぱり魂の内が読み取れない。一部の妖怪のように、知性が失われているわけではないのにも関わらず、だ。
 とりわけ可笑しいのは、彼が固有の姿かたちを持たない点である。
 妖怪は、己の存在を世に縫いとめるため、大抵のものが特有の姿かたちをもっている。姿を変化させる場合もあるが、それは人を騙したり生活の不便さを解消したりするためだ。存在そのものが人間や動物より希薄な妖怪は、自分が変わってしまう恐怖を無自覚で避けているのだ。
 それを考えると邪魅は、ちゃんちゃらおかしい。なにが楽しくて姿かたちを変え続けるのか。はっきり言って、意味不明だ。
 彼にはさらに不気味な点がある。
 実は、「彼がいつから山に棲みついているのか」「彼はどうやって山に棲みついたのか」を把握しているものが、現状(おそらく)いないのである。
 その件について、妖怪たちは一度顔を突き合わせて議論した――「あいつは俺が存在した頃には山の端っこを陣取っていたから、俺よりも古い」「私が存在し始めたときに周囲の妖怪から邪魅に注意するよう忠告されたから、私よりも古い」「ひいじいに聞いてみたら、わっちのひいじいより古いことがわかった」――議論、したのだが。
 結論として、とりあえず邪魅はほとんどの妖怪よりも古いとされた。それ以上は、なにもわからなかった。
 唯一彼にちょっかいを出す雪女あたりなら、なにか知っているかもしれない。そう考え、彼女を脅して探りを入れようとしたとある鬼妖怪は、氷漬けにされたあげく魅了されてしまい小間使いへと変わり果てしまった。というわけで他の妖怪はそれ以上の追究を断念した。
 そんなわけで、とにかく山の妖怪たちの間では、邪魅は気味の悪い妖怪“もどき”として煙たがられていた。
 あるいは、妖怪たちは認めないだろうがこうとも言える。
 邪魅は、かつて人々が畏れをなした妖怪にすら、畏れられていたのである。
 
 ところで、存在し始めたばかり(※人間でいうと、生まれたばかりの赤ん坊だということだ)の妖怪というものは、人間の幼子並みに好奇心旺盛であることが多い。
 元気な河のわっぱも、おとなしい元動物も、新しい怪談妖怪も、どいつもこいつも、己の欲求のままに力を存分に振るってはしゃごうとする。
 まあ、そういうやつらは、大体はやっかいな計画の途中で他の妖怪から手酷い仕打ちを受ける。そうして、恐怖を覚え欲求を抑え始めるのだ。
 恥ずかしいことに、人間にうっかりしてやられて大怪我してしまう奴だって少なくない。
 妖怪として、意識が生まれたばかりのやつは、どれだけ凶暴でも、所詮そんなものである。知性や理性、ようするに頭が足りないのだ。
 逆に言えば、失敗するまでやつらは止まらない。
 
 さて、大きくはない山ひとつという閉じられた空間では、いまだ失敗知らずなやつらが抱ける興味の対象の数は、残念ながら多くはない。
 山に迷い込んだ憐れな人間だったり、魅力的な異性妖怪だったり、山の大将の天狗だったり、自分よりひ弱に見える小妖怪や小動物だったり、元動物なら好きな食い物だったり、
 自分より昔から存在しているはずの妖怪どもが、総じて畏れる謎の妖怪もどきだったり。
 つまりそういうことだ。
 ここまで知った方ならお察しのとおり。とどのつまり、邪魅は若造妖怪どもの昂ぶった好奇心の矛先を、真っ向からぶつけられやすいのである。
 
 
    ***
 
 
 その視線に気づいたのは、試験が終わったらしい三好はるかと真昼から会話していた最中だった。
 ジャミはさりげなく後方を確認する。予想通り、少し距離の空いた先の木々の後ろに、見慣れない妖怪が二体ほど、各々の身体を隠していた。……明らかに体の一部が木々からはみ出ているが、あれは隠れているつもりなのだろう。おそらくは。

「――ジャミさん? どうかしたんですか?」
「……いや。なんでもないよ」

 

 ジャミはそう言って誤魔化した。本当に「なんでもない」だったらよかったのだが、残念ながらそんなことはない。
 膝を抱え、脚を三角にして座っていた三好はるかが、身体を捻ってジャミの面を覗き込む。

 

「ほんとうですか? ジャミさんは、なんでもないときもなんでもないって言いますから、あたし心配です」
「わたしをなんだと思っているんだ」
「え? ……ええと、生活能力に多少の心配があるひと、でしょうか?」
「……おまえ、大分遠慮が無くなってきたな…………」

 

 冗談です、と少女はくすくす笑う。邪魅はこれみよがしにため息を吐いてみせた。不服を表しているわけでは、ない。あくまでこちらも、冗談だ。
 邪魅と少女の関係は、出会った当初よりも幾分かくだけたものになっていた。ふたりの繋がりは、どこかじれったいほどゆるやかに、流れに任せたくなるほど穏やかに変わりつつあった。
 少女は薄いくちびるをゆるく描いてふんわりと笑っている。彼女は、邪魅が名前を問い、気持ちを伝えたあの夜から、さらに感情を大きく出すようになった。特に、以前は緊張で引きつっていた顔が、よく笑うようになったのは、どこか嬉しい。
 笑う少女の姿は、暖かな春風に吹かれるような、僅かに満たされる気持ちを邪魅にもたらしてくれる。
 しかし後方の突き刺さる視線は、邪魅をそんな気分に浸らせはさせなかった。

 

「…………」

 

 というか、せめて僅かでも気配を消す努力をしてほしいと思う。思い返すと、雪女の徹底した神出鬼没っぷりは大したものだ。年の功だろうか。言えば氷漬けにされそうだなと思ったので今の発想はなかったことにしておく。
 邪魅にとって、見慣れない妖怪たち、すなわち新しく存在し始めた妖怪たちに絡まれることは、もはや定期的に訪れる一種の行事と化していた。
 山に棲む妖怪たちは、あまり山の外に出たがらない。ゆえに世に存在し始めた妖怪たちは、自分たちの縄張りの範疇で、盛んな好奇心から刺激的なものに出会おうとする。結果、妖怪としては場違いな邪魅の存在を発見して、どんなやつなのか確かめに来るのだ。
 勝手に刺激的な行事扱いされ、観察されたり話しかけられたり攻撃されたりすること自体は、邪魅にとって大したことではないし、今となっては慣れっこなので別段気にすることではない。しかし。
 思考を巡らせていた邪魅の隣で、少女は「うーん」と言いながら両手で伸びをした。薄い胸部が気持ちよさそうに反らされる。制服の襟が、薄手の上着を纏う肩と一緒に浮かび上がった。

 

「今日みたいな青空って、気持ちいいですねえ」
「雲ひとつないからな。人間はそろそろ、寒さに耐えかねて屋内に籠るころだがな」
「あはは。そうですね、もうすぐ十一月ですからね。雪かきが大変な時期になっちゃいますし。長靴、新しいの買っておかないと」
「ああ、紅葉も雪に埋もれて腐るころか。殺風景な冬に移る前に、桜の紅を目に焼き付けておけばどうだ」
「確かに、殺風景かもしれませんけど。でも、桜が綺麗に映るのって、白い雪に覆われる季節の次だから、じゃないかって思うんですよ。ほら、ギャップ、っていうか、なんというか」
「ほう」
「そう考えると、白に囲まれる冬も、大事な季節なんじゃないかな、って思いませんか?」
「おまえは、なんというか。あいかわらず、変わっているな」
「そ、そんな……。えへへ」
「褒めてはないぞ」
「そんな気は薄々してました! もう!」

 

 この場所で行われるやり取りは、あまり意味を為さない、他愛のないものだ。
 けれど、邪魅はこのやり取りを、こころもち居心地よいものと感じていた。談笑相手である三好はるかが、程度はどうあれ自信を好ましく思っているとわかっているから、なおさらそう感じるのかもしれない。
 澄んだ晴天の下、少女とふたりで過ごす時間。
 それをどこぞの輩に邪魔されるのは、なんとなく、癪に障る。
 ただでさえ、少女は今日まで学校の試験とやらに追われ、最近あまりこの場所に来られなかったのである。久しぶりの語らいに、横やりを入れられたくはなかった。
 幸い、少女は妖怪たちの視線にまったく気づいていない。……いささか危機管理能力が心配だが、今は幸いと思っておく。
 また、今回の妖怪たちは、観察はすれど暴力は振るわないつもりらしい。少女が害を被らないだろう点は、素直に助かる。
 ……思考を巡らせた結果、放っておこう、と邪魅は結論付けた。
 どうせ邪魅には“なにもない”。いつも通り放っておけば、若造たちは期待違いだったことを理解して、別の対象に興味を抱くようになるだろう。
 そうして意識を後方から完全に切り離そうとした邪魅であった、が。

 

「なあ、なんで邪魅と人間が一緒に居るんだ?」
「知らない。あの娘は人間じゃないかもよ」
「人間じゃないならなんだよ。幽霊かよ」
「化け狸が化けてるのかも」
「そもそも、邪魅ってずっとひとりでいる妖怪もどきじゃなかったのか?」

 

 ……妖怪たちのひそひそ声が、無視しようとしても耳に入ってくる。彼らは「自分たちは隠れている」という意識が時間の経過と共に麻痺しつつあるらしい。

 

「? ? ……ジャミさん、誰か近くに居るんでしょうか?」
「知らないな。私は何も知らない」
「で、でも、どこからか声が聞こえるような……」
「まったく綺麗な空だな。まるでコバルトブルーを混ぜたような色をしている」
「話逸らすの下手過ぎませんか!?」
「――なあ、あの娘、驚かしてみない?」
 
 片方の若造の提案が、少女を化かそうとしていた邪魅の呼吸をぴたりと止めた。

「なんでそうなるんだよ。妖怪もどきの正体を暴くのが目的だろ」
「だって人間見たらうずうずしちゃって。ほら、妖怪の性かも」
 
 そこまで聞いて、邪魅はすくりと立ち上がった。

 

「ジャミさん?」

 

 少女の問いかけには応えず、ゆっくりと後ろを振り返る。びくりと身を強張らせた二体の若造妖怪の元へずんずんと歩いていく。
 妖怪たちは逃げようとしたがもう遅い。邪魅は小柄な二体をひっ掴んで空中へ持ち上げた。

 

「ぎゃー! なにすんだこの妖怪もどき!」
「はーなーせー」
「化け狐に送り犬か。まったく、黙っておけば好き勝手に……」
「わっ、え、えっ? ジャミさんのお仲間さんですか?」

 

 少女が目を丸くして驚いている。どうやらこの二体は、人間から姿を隠してはいなかったようだ。
 意味もなく人間に姿を見せておくなんておまえらそれでも妖怪か、と呆れようとしたが、己の少女との初対面を思い出して踏みとどまった。
 邪魅は、状況が把握できずおろおろとしている少女を横目に、ぎりりと妖怪たちを掴む手に力を込める。

 

「おまえたち。私はともかく、この娘に害を為すようなら……」
「な、なんだよ。暴力か? 俺は逃げるのなら得意だぞ!」
「僕らだって妖怪だし、そう簡単には消えやしないよー」
「――秘密をばらすぞ」
「はっ?」
「え」

 

 虚を突かれた二体を、邪魅はとことん追いつめる。

 

「化け狐。昨日、野良犬に喧嘩を売ったあげく噛みつかれて一目散に逃げ出しただろう。野良犬は無傷のままだった」
「なっ」

 

 化け狐の尾がわさりと広がったあとしゅんと萎んだ。

 

「送り犬。三日前に、山にやって来た人間の幼子を驚かそうとして、後をつけたあげく迷子になっただろう。二日ほどすんすんと泣きながら彷徨っていたな」
「あう」

 

 送り犬の尾がびんと伸びたあとだらりと垂れた。

 

「他にも色々知ってはいるが……この場で喋ってもいいならこのまま喋るぞ」
「お、おまえに知られたって痛くもかゆくもないやい!」
「そ、そうだそうだ。別におまえひとりに知られたところで」
「私は他の妖怪と親しくないが、雪女に通してもらえば話を広めることができる。なに、彼女なら一日で瞬く間に山中まで知れ渡るだろうな? おまえたちの、不甲斐ない失敗話が」
「みゃっ」
「ひぇっ」

 

 雪女の名前は効果覿面だったらしい。
 邪魅は両手をぱっと離した。ぼとりと化け狐と送り犬が地へ落ちる。二体はぶるぶると震え涙目でこちらを見上げていたが、やがて二体で目を合わせ、

 

「お、おぼえてろよー! 次に会ったときは容赦しないからな!」

 

 そんな捨て台詞を吐きながら、一目散に山の奥へ逃げて行った。
 邪魅は手をぱんぱんと叩き、少女の方へ振り向く。
 少女は、妖怪たちを瞳に捉えていたものの、なにが起きていたのかはさっぱりわからなかったようで、呆気にとられていた。
 邪魅は元いた場所、少女の隣へゆっくりと歩いて戻る。ハテナでいっぱいにしているだろう少女の頭を、黒く暗い手のひらでぽんぽんと触った。

 

「気にするな。以上だ」
「え? え?」

 

 少女は目を白黒させる。

 

「えっと、何の説明にもなってないですよ!?」
「いつか話す」
「信じていいんでしょうか……説明が面倒なだけなのでは……」
「信用ないな、私は。話すよ。ただ、己のこともある程度混じるから、もう少し慎重に話したい」
「!」

 

 嘘偽りのない、邪魅の本心だった。

 邪魅自身のことを話す――という約束に、少女はとても弱いらしい。しばらく納得いかない様子だったが、最終的には「わかりました」と頷いた。

 

「慌ただしかったですけど……ジャミさんの知り合いのお化けさん方、ってことだったんですよね?」
「いや。初めて会ったやつらだ」
「そうだったんですか?」

 

 少女はきょとんとした顔を作った。

 

「あんなにお化けさん方のことを知られているので、てっきりお知り合いかと思ったんですけど」

 

 なんだ違うんですね、と合点した少女。対し、邪魅は少女の台詞に、今更ある疑問が浮かんだ。

 

「ジャミさん? 固まっちゃって、どうかしたんですか?」
「……いや。なんでも、ない」
「……怪しいです。なにかあるんですね」
「なんでもないったらない」
「うう。わかりましたよ……」

 

 邪魅は思う。

 ――己は何故、存在し始めたばかりの、出会ったこともなかった妖怪の情報を、当たり前のように知っていたのだろう? 
 
 
    ***
 
 
「おい、化け狐と送り犬が帰ってきたぞ」
「早かったなあ。まあ根性無しなら仕方ないか」
「げえっ、鴉天狗と一つ目小僧!」
「もう少し年上を敬ったらどうだ、新人」
「無礼は土産話を聞かせてくれたら許してやろう。どうだった? 妖怪もどきの観察は。正体を暴いてやると意気込んでいただろう? ん?」
「そ、それはそのう……逃げてきたからなにもわからなくって……」
「ぼ、暴力! 暴力ふるわれて! 関わってくるなって脅されたの!」
「……は?」
「……それは本当か?」
「ほ、本当だよ? 嘘じゃないよ? ねえ?」
「あ、うん、そう! そうだよ! 別に恥ずかしい秘密で脅されたとか、そんなんじゃないから!」
「……おまえ、それは本当にあの邪魅だったのか? 相手を間違えてないか?」
「間違えてなんかないよ! へんてこりんな面の、真っ黒なやつだろ?」
「ふむ、特徴は合っているな。いや、なんだ。おかしな話だと思ってな」
「ど、どこが?」
「俺たちが邪魅に関わるなと言ったのはな、何をしてもまったく相手にされなくて、不毛な時間を過ごすだけになっちまうからだ。別に、凶悪な妖怪だからってわけじゃねえんだよ」
「ええ?」
「んん?」
「今までずっと、若造のちょっかいに反応したことなかったのにな。なんかあったのかね、あの妖怪もどき」
「……そういえば、あいつの近くに人間がいたかも」
「ニンゲンン?」
「獲って食うのか?」
「さあ」
「さっぱりわからんが……まあ、放っておけ。触りに行かなきゃ祟りはないさ」
「むう」
「はーい……」

 

 とぼとぼ巣へ帰っていく化け狐と送り犬の後ろ姿を眺めながら、鴉天狗はふうむと思案する。
 邪魅という古き存在が、変わりつつあるのかもしれない。
 その事柄が妖怪の山にどのような変化をもたらすのか。少しだけ考え、すぐに止めた。
 たった一体の妖怪が多少変わったところで、山全体に何かが起こるはずはないのである。
 そう判断し、翼をばさり広げて、自身も巣へと帰っていった。

2016/9/4

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